早熟過ぎた漫画家「山田花子」”覚悟の飛び降り自殺”
- 高下 豊光
- 2020年9月27日
- 読了時間: 3分
独特の世界観、独創的な絵柄で熱狂的に支持された漫画家だった。

1992年5月24日、団地の11階から飛び降り自殺する。
享年24、死後、日記が刊行された。
山田花子は、大変早熟なマンガ家だった。
中学3年生で早くも商業誌デビューを果たしている。
そして20歳になって、「ヤングマガジン」に登場するに及んで、彼女は女流マンガ家として広く認められるようになるのだ。
そうしたこともあって、花子が24歳で亡くなったとき、雑誌「ガロ」の追悼号には数多くの関係者が原稿を寄せている。
それらを読むと、彼女は良識を備えた社会人として、才能豊かな女流マンガ家として、周囲から評価されていたことが分かる。
花子の妹によると、変調は前年の夏頃から始まり、その時分から花子は妹を避けるようになり、メモ帳にしきりに何かを書き込んだり、パーティーに行くと誰にも断らずに不意に帰ってしまったりするような不可解な行動が増えたようだ。
花子は、漫画家になってから東中野のアパートで暮らしていたが、毎年、年末には多摩市にある実家に帰ってきていた。
ところが、心身の変調をきたした大晦日には仕事が多忙だといって帰ってこなかった。
そして、あろうことか、警察から花子を保護しているという電話が妹のところにかかってきたのだ。
なんでも、飯田橋駅のホームに花子が放心状態でたたずんでいたというのである。
彼女は長かった髪を自分でバッサリと切り落とし、何日も着替えていない服を着て、ぼんやりホームに立ちつくしていたのだ。
警察官が怪しんで麹町署につれ戻り、いろいろ問いただしたが、彼女は最初黙秘していて何も語らなかった。
やがて妹が青林堂に勤務していることを明らかにしたので、警察はまず妹に連絡したのだった。
妹は警察に出向き、姉の身柄を引き取って、まず、東中野の姉のアパートに連れ帰った。
自動車のセールスマンをしている父と、小学校教諭の母も、娘のアパートに駆けつけたが、花子には特に異常な行動は見られなかった。何事もなかったように、音楽を聴きながらノートに何か書き込んでいるだけだった。しかし、彼女はひどくやつれて、心身ともに疲れきっているように見えたそうだ。
両親は、花子を多摩市の実家に連れ帰り、ゆっくり休養させることにした。
だが、花子は容易に「うん」とはいわない。数時間かけて説得し、ようやくその気にさせて電車に乗りこんだものの、新宿駅でトイレに行くといって、それきり女子便所に立てこもってしまったり、いきなり改札口に駆け込もうとしたりする。そんな彼女をなだめたり説得して電車に乗せ、両親の自宅に戻った。そして、実家で過ごしたのは一日に過ぎなかった。
翌日、花子がケーキを食べたいというので、父親が買いに出た隙に花子は家を逃げ出して、東中野に戻ってしまう。翌日、彼女のアパートに行ってみると、花子が一夜をそこで過ごした様子はあるけれども当人の姿が見えない。家族がどこに行ったのか心配していると、翌日の夕刻に又警察から電話があった。
なんと、花子は、解雇されたアルバイト先の喫茶店に押しかけ、従業員控え室に座り込んで動かないというのだ。
父親が娘を引き取りに行くと、控え室の奥に座っていた花子が訴えた「みんなが私をいじめるの」と。
彼女は、中学2年生でクラスのイジメに合い、自殺未遂を起こしている。
両親は、精神科医に花子を同行して診察してもらった。医師は「統合失調症」です、と告げたのだ。
山田花子は、漫画家としての類まれな才能を持っていたという。
生まれつき、その感性が強すぎてしまったのか、短かすぎる生涯を自ら閉じてしまった。
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