実績?何もありません・無名選手「有森裕子」の挑戦
- 高下 豊光
- 2020年9月9日
- 読了時間: 2分
2大会連続のメダルを引っ提げ、1996年でリクルートを退社する。
日本陸連に対し、選手の立場のままCMなど様々な活動ができるような環境を求めた。
前例はなかった。それは半ば「有森裕子」のプロ選手化宣言であった。

有森裕子が陸上部に入ったのは高校進学からであった。
もともと丈夫な身体ではなかった。しかも股関節に持病を抱えていた。
陸上部に入部したのは、健康体に憧れていたからだ。
そして--
彼女は、マラソンにすっかりハマってしまった。このままマラソンを続けていきたい。
でも、無名の、実績のない彼女を受け入れてくれる実業団はなかった。

そんな折り、友人から耳より情報を聞いた。
『リクルート社が陸上部を創設するらしい。新部員も求めているんだって、受けてみれば』
『そう!行ってみる!』
有森裕子は、リクルート社に出向いた。情熱だけは誰にも負けない。
面接官は、陸上部の監督だ。
『国体やインターハイでは何位だったの?』
有森裕子は応える。
『出ていません』
陸上部監督は続けて質問する。
『そう?じゃ県での駅伝の成績は?』
有森裕子、
『3年間補欠でした』
監督はさらに驚いた。なぜなら、有森裕子の実力は、どこの高校陸上部の水準にも達していなかった。
当然、監督は不合格にした。
だが、彼女は諦めない。毎日監督に電話をかけてくる。
彼女は『オリンピックに出たいんです!そのためならどんな練習にも耐えられます』
監督は、彼女の一歩も引かない情熱を感じた。
『やらせてみるか、面白いかもしれん』
こうしてリクルート陸上部での猛練習が始まった。
その監督こそ、女子マラソン界の名伯楽「小出義雄」である。
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