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実績?何もありません・無名選手「有森裕子」の挑戦


2大会連続のメダルを引っ提げ、1996年でリクルートを退社する。

日本陸連に対し、選手の立場のままCMなど様々な活動ができるような環境を求めた。

前例はなかった。それは半ば「有森裕子」のプロ選手化宣言であった。

有森裕子が陸上部に入ったのは高校進学からであった。

もともと丈夫な身体ではなかった。しかも股関節に持病を抱えていた。

陸上部に入部したのは、健康体に憧れていたからだ。

そして--


彼女は、マラソンにすっかりハマってしまった。このままマラソンを続けていきたい。

でも、無名の、実績のない彼女を受け入れてくれる実業団はなかった。

そんな折り、友人から耳より情報を聞いた。

『リクルート社が陸上部を創設するらしい。新部員も求めているんだって、受けてみれば』

『そう!行ってみる!』

有森裕子は、リクルート社に出向いた。情熱だけは誰にも負けない。

面接官は、陸上部の監督だ。

『国体やインターハイでは何位だったの?』

有森裕子は応える。

『出ていません』

陸上部監督は続けて質問する。

『そう?じゃ県での駅伝の成績は?』

有森裕子、

『3年間補欠でした』

監督はさらに驚いた。なぜなら、有森裕子の実力は、どこの高校陸上部の水準にも達していなかった。

当然、監督は不合格にした。

だが、彼女は諦めない。毎日監督に電話をかけてくる。

彼女は『オリンピックに出たいんです!そのためならどんな練習にも耐えられます』

監督は、彼女の一歩も引かない情熱を感じた。

『やらせてみるか、面白いかもしれん』

こうしてリクルート陸上部での猛練習が始まった。

その監督こそ、女子マラソン界の名伯楽「小出義雄」である。

 
 
 

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