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宗教法人紀元会集団暴行事件の衝撃

宗教法人紀元会(きげんかい)は、長野県小諸市に本部を置く神道系の宗教団体であった。

2007年9月24日、集団リンチ事件が発覚する。


本部には大和神社という施設があり、紀元会は同神社の崇敬者団体として位置づけられる。

教義は、「日之本大神」を主神とし、日本神道に従って祭祀を行い、神道を信奉する者を育成するとしていた。

開祖は松井健介総裁であり、2002年に彼が死亡してからは、次女の松井五十鈴が総裁代行に就任している。


家族単位の入信を基本とし、東京地区、東海地区、長野地区など各地区別に「筆頭総代」という地区長を置き、会員を管理していた。

「紀元水」によって信者を集め、ピーク時は5000人規模の信者がいた。この頃は日本各地から信者が小諸市の本部にやってきて、多くの山車で市内を練り歩く「紀元水祭り」、「二年詣初詣」、「七夕祭り」などの大イベントを中心に、毎月様々な祭典を行っていた。

しかし、初代教祖が亡くなる頃から信者の脱会が相次ぎ、2007年9月に発生した集団暴行事件の時点では数百人規模にまで減っていた。

長野県小諸市の宗教法人「紀元会」会員のすし店経営、奥野元子さん=当時(63)=が死亡した集団暴行事件を振り返ってみよう。加害者の大半が女性会員だったことや暴行が始まった経緯など犯行状況に謎が多かったが、県警小諸署捜査本部などの調べで「密室」の様子が明らかになってきた。

陰湿で執拗(しつよう)なリンチは、なんと「避妊具」が発端だったという。一般社会から乖離した異常性は、カルトに共通している。 事件の発端は、「大神様の孫に失礼だ」と、9月24日午後8時、70数人の会員が、普段は講義や集会に使われる教団施設の大会議室に集められた。怒りの矛先は奥野さんの二女(26)だった。主犯格とみられる窪田康子被告(49)の娘で、教団創設者・松井健介氏(故人)の孫にあたる少女に「財布に入れておくと、お金がたまるお守り」と「避妊具」を見せていたことを窪田被告によって暴露された。

避妊具を神聖なお守りに例えたことに会員が激怒。二女を囲んで殴るけるの暴行が始まった。 窪田被告はごみ袋に30個ほどの避妊具を張りつけた特製のベストをほかの会員に事前に準備させ、二女に着させた。会議室には男性も十数人いたが、女性が異性の目を気にしたためか「男性は下がっていろ」と声を出し、結果的に女性ばかりが暴行の当事者になったとみられている。 会員らは二女の夫(30)、奥野さんの夫(35)、長女(37)にも暴行を加えた。さらに「娘が悪いのは母親のせいだ」と声が上がり、施設外にいた奥野さんが呼び出されたという。午後11時半ごろ、座布団に座った奥野さんが「(二女の言動の)どこがいけないのか」と開き直るような態度を見せたため、窪田被告が背中をけり、ほかの会員も次々に暴行。

窪田被告は会員に「痛いからここに乗って」と内ももを踏ませた。暴行を渋る少女らには「神子(幹部の世話係)になれなかったらどうする」とあおり、少女らはひじ関節をきめる「腕ひしぎ逆十字固め」や、飛びげりをした。 暴行は断続的に約1時間続く、モデルガンの銃口を口に入れる、馬乗りで髪の毛をごっそり抜く−などのリンチが続けられた。奥野さんがぐったりすると、「万病に効く」として会員に分け与えられている「紀元水」が口に流し込まれたが、外傷性ショックで死亡した。遺体は、全身打撲という状態で、首から下にまんべんなくあざがあったそうだ。 教団関係者の中には、奥野さん一家と窪田被告の確執が背景にあるという声もあったという。奥野さんは紀元会の元京都支部長で、松井氏に気に入られて小諸に移り住んだ経緯があり、松井氏が平成14年に死亡するまで影響力を持っていた。

事件のキッカケはコンドームだと云うのも、牧歌的な郷愁を感じさせる。

この時代、新型コロナ感染が起きていたら、集団リンチなど起きなかっただろうに。

 
 
 

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