右翼活動家、朝日新聞に抗議の自決
- 高下 豊光
- 2020年10月9日
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右翼活動家、朝日新聞に抗議の自決。
1993年10月20日、野村秋介は、息子を連れて朝日新聞を訪れる。

1992年、第16回参議院議員通常選挙に際して、日本青年社等が組織した「たたかう国民連合・風の会」から横山やすしらと共に比例区で立候補した。
その際、『週刊朝日』で風刺イラストの連載「ブラック・アングル」を持つイラストレーターの山藤章二が、これを「虱の党」と揶揄した作品を発表した。
マスコミの中で特に朝日新聞にこだわっていた野村は抗議の姿勢をより強めた。

店長は、なかなか洒落が効いていると評価していたが、横山やすしを担ぎ上げたのは、間違いとまでも云わないまでも良策ではなかったと思う。
それは、選挙後の横山やすしが「国民はアホや!」と言い放ったことにある。アホはどっちや、と思った有権者は多かったと思う。
野村秋介は銃を取り出し、皇居の方を向くと、「すめらみこと、いやさか!」と三唱して引き金を引いた。
その意味は、天皇陛下、永遠に栄えますように、と願いを込めた言葉であった。
野村秋介は朝日新聞に公開討論をを申し込んでいた。同社の偏った報道姿勢について、公の場で質したいと考えていた。だが、朝日新聞ではのらりくらりと返答を避け続けていた。
これに業を煮やした野村秋介は、朝日新聞に乗り込んだのだ。
この事件以後、彼は「朝日新聞と刺し違えた国士」と呼ばれる。
最後の国士、野村秋介死亡 享年58歳
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