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ハリウッド映画「ラストサムライ」の憂鬱

2003年公開のラストサムライ、トム・クルーズ、渡辺謙共演で話題となった。

一般に、サムライ映画とされているが、はたしてそうだったのか。やや斜めに観てみる。公開当時、日本人の誇りを表現してくれた、と賛美する単純な人も多かった。


だが、今一度振り返ってみよう。ハリウッド映画には、隠された野望が潜んでいるものである。大衆娯楽映画には、ナチスのプロパガンダ映画の亡霊がいまなお生きている。

山奥に成立した武士の集落は、本当にサムライなのだろうか。あるいは「ダンス・ウイズ・ウルブス」のインディアンの集落なのだろうか。


明治新政府との最後の決戦は、およそサムライらしくない戦いであった。あのシーンは、騎兵隊とインディアンの西部劇であった。つまり、ハリウッドにとって、サムライとは、文明化されていない未開の地に住むインディアンと同じなのだ。


未開の住人がゆえに、彼らは制圧されなければならないのだ。戦後のGHQは、同じようなマインドを持っていたのだろう。

ハリウッド映画は、素直に喜べない。では、これはどうか。シリーズ化された古典的名作「猿の惑星」である。

よく練られたストーリー展開は見事なものだった。わが国で大ヒットしたのも分かる気がする。実は、この「猿」は、間違いなく日本人なのだ。原作者の「ピエール・ブール」は、第二次大戦中に日本軍の捕虜であった。たぶん、それは彼のトラウマになっていたのだろう。

「日本人は野蛮な人種である」と、欧米人にたいして刷り込みを行う目的があったと解釈できる。

戦後、米国は広島・長崎に原爆を投下した。一般市民が殺戮されたのだ。その国際的な非難をかわすために、日本人は野蛮な人々である、だから原爆投下には何ら責任はない、と強弁してきたのだ。

ハリウッド映画には、このようなプロパガンダが隠されている。もちろん、映画はエンタメとして気楽に楽しめばよい。例を上げればほかの作品にもいくつもある。

 
 
 

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