top of page

カルト教団オウム異聞・「遠藤誠一」天才の不都合な真実

オウム真理教の死刑囚遠藤誠一の刑が執行された。


彼は、最後までオウムの洗脳が解けなかった。

おまけに、サリンを生成した土谷正実や中川智正にその罪をなすり付けるなど、反省の言葉もなかった。


それは、早々と離脱を宣言し、反省の弁を述べた他の幹部とは一線を画していた。


そのため、裁判官の心象も悪く、実行犯ではなかったが、自ら死刑判決を招いてしまった。

彼は、秀才ぞろいの教団の中にあって、格別優秀な研究者だった。

生家はごく普通に裕福で、父親は室内装飾会社の役員であった。

また母親は「世界救世教」を信じている家庭に育った。

その意味では、新宗教にハマる下地は備えていたと云えるだろう。

彼は、キリスト教系の幼稚園を経て、北海道札幌北高等学校へ進学。左耳の難聴があったようだ。

だが、身体能力に秀でていた彼は、高校時代は体操部に所属した。

2年生のとき愛犬が病気になり、獣医に治療してもらったことから獣医を志し、

帯広畜産大学畜産学部獣医学科に進学する。

やがて、分子生物学に関心を持ち「遺伝子工学」の研究に打ち込む。

1986年、同大学院畜産学研究科獣医学専攻を終えると同時に獣医師の資格を取得した。

修士論文は「各種のアデノウイルスDNAの牛腎臓株の核I因子の結合に関する研究」であった。

さらに、京都大学大学院医学研究科博士課程に進学し、当時エイズウイルスが話題になったことから遺伝子工学、ウイルス学を専攻した。

彼が、オウムに洗脳されなかったら、エイズウイルスの指折りの研究者になっただろう。

遺伝子という分野を研究するうち、「生命の本質は遺伝子なのか」という疑問が生まれ、魂の存在など精神世界とは何なのか、という疑問が出てきてしまった。遠藤誠一は、世界救世教を信仰していた母親を想いだす。

そして、疑問解決を精神世界に求めたのだ。

やがて、彼は、麻原彰晃の本と出合ってしまうのだ。同じころ、編集長の私もオウムの著作をよく読んでいた。

だが、編集長は、彼らと同じハマり方をしなかった。私は「空中浮揚」は写真のトリックだと見抜いた。


また、麻原彰晃の出生を調べて、彼にはすべての日本人を殺戮したい、度し難い願望があることも見抜いていた。麻原彰晃の深層意識には、世間への復讐願望がどす黒く渦巻いていたのだ。

理系秀才の欠点は、形而上的思考の経験がないことだ。

遠藤誠一は、1988年11月に京都大学大学院を休学し、オウムが宗教団体だ、という認識は持たず入信した。

彼が本部を訪ねた際に、おそらく、薬物による洗脳が繰り返し行われたであろう。

優秀な頭脳は、そうして悪魔の手に委ねられたのだ。

彼の遺骨は、後継団体「アレフ」の手に委ねられた。。

 
 
 

Yorumlar


bottom of page