アルゼンチンの母、エビータの生涯
- 高下 豊光
- 2020年9月28日
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現在でもアルゼンチン国内では人気が高く、親しみをこめてエビータ(Evita) と呼ばれる。
マリア・エバ・ドゥアルテはアルゼンチン、パンパス草原の貧しい村・ロス・トルドスでバスク系アルゼンチン人の未婚のコック、フアナ・イバルグレン(1894年 - 1971年)と妻帯者である農場所有者フアン・ドゥアルテ(1872年 - 1926年)との間に生まれた5人の私生児のうちの1人として誕生する。
首都のブエノスアイレスから離れた田舎町フニンで育つが、15歳で家出をしてブエノスアイレスに出た。

ブエノスアイレスでは、日系人カフェで女給をしながら、当初は水着グラビアや広告モデルなどのモデルの仕事をしつつ、高級売春婦としても生計を立てていたが、1930年代後半頃より次第にラジオドラマの声優や映画女優として活躍しはじめ、B級メロドラマ映画やラジオドラマ「エル・ムンド」に出演していた。
1943年に、パーティーで軍事政権の副大統領兼国防大臣兼労働局長の肩書きを持つフアン・ドミンゴ・ペロン大佐に出会う。
以後、政界に強い影響力を持つペロンの愛人として過ごし、その庇護の下で、自身のラジオ放送番組によってペロンの民衆向け政治宣伝を担い、第二次世界大戦下で中立国として連合国と枢軸国の双方へ牛肉の輸出を行うことで膨大な外貨を稼いでいたものの、度重なる政変と汚職により貧富の差が大きかったアルゼンチンで、貧しく無学な労働者階級(無学な文盲者の多くがラジオをその情報源・娯楽としていた)から大きな支持を得た。
なお、その後使われるようになった「エビータ」の愛称は、ラジオドラマの頃から使われ始めたものだ。
国民は、彼女に副大統領の地位を与えようとした。だが、直後に子宮がんを発症する。
1952年、「エビータ」死去、享年33。ファーストレディの早すぎる死であった。
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