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すべてが謎だらけ、明智光秀の無念の生涯

1582年、主君織田信長を討った明智光秀は、謀反の11日後にその命を落とした。


山崎の合戦で秀吉軍に敗れた光秀は、なんとか勝龍寺城を脱出したものの、彼に従う近臣は5.6騎になっていた。


そして、小栗栖の竹藪をさまよっているところで落ち武者狩りと出会ってしまう。そして竹槍で深手を負い、家臣の溝尾勝兵衛の介錯によって自刃する。

明智光秀は、足利義昭や名門・細川家とも交流があり、故事に明るく教養もあったという。

頭も良かったのだろう。だが、織田信長の怒りを買ったことや朝廷黒幕説もあり、真相は分からない。

以下に明智軍記に残された光秀辞世の句を拾っておく。

逆順二門なし

大道心源に徹す

五五年の夢

覚め来て一元に帰す

意味を説明する。

社会に反逆や忠誠などというものはない。

ただ己の心の底にある一筋の道に従うのみ。

自分は55年夢を見たが、覚めてみれば

元に戻るだけ。

ただし、小栗美作という人物の辞世の句がよく似ているともいわれる。

これも、真相はわからない。

 
 
 

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