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「おふくろさん騒動」社会学的解釈

森進一と川内康範は、古くからの家族つき合いであり、長きに渡り良好な間柄だった。

だが、『おふくろさん騒動』が起きてからは関係が悪化した。


川内の激怒に森は笑みを浮かべながら、最初「歌いだしの部分(の追加について)は、事務所(当時所属していた渡辺プロ)がやってくれていると思っていた」と弁解していたという。

実際、冒頭の歌詞改変部分は、保富作詞、猪俣作曲である。

さらに渡辺プロの全面的な賛成の元に実施されたものであり、「あの歌は“森進一のおふくろさん”」、「(自分が主導していたのではなく当時の所属事務所が主導していたのに自分が)謝る理由がわからない」と発言し、川内の主張に異を唱えていた。

これを受けて、さらに川内は「人間失格だ!!」、「絶対に許さん!!」と取材陣に主張し、これを受けて森は、川内に直接謝罪するために青森県八戸市にある川内の自宅に出向くが、当時川内は東京にいたため会えずじまいであった。森は川内邸にとらやの羊羹と手紙を置いたが、川内は「三文芝居」と大憤慨し、品物を森の事務所に送り返したという。

川内は「もう森とは、生涯二度と会わない」と宣言し、余計にこじれる結果となってしまった。川内が「三文芝居」と憤慨したのは、森がマスコミに対しては川内宅に謝罪に訪れることを事前に通知し、取材陣を引き連れて訪問したことが原因であった。

すでに10年前に歌詞の改変は自分の意思に反することを森に伝えており、森自身が川内に対し、歌詞改変をやめることを承諾していたと川内は主張している。

結局川内と森は和解しないまま、2008年4月6日に川内は死亡した。

この、「おふくろさん騒動」は、社会学の絶好のテキストとして振り返ってみたい。

ソロ歌手全盛の歌番組は昭和の時代と共に去ってしまったが、このスキャンダル事態は少々幼い気がする。

大御所・作詞家の川内康範は、日本人の源意識にある"無数のおふくろさん"を、森進一が勝手に自分だけの"おふくろさん"に矮小化させてしまったことに、怒りを隠せなかったのではないだろうか。

 
 
 

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