GHQをも圧倒--戦後をデザインした白洲次郎の凄さ
- 高下 豊光
- 2020年10月20日
- 読了時間: 2分
白洲次郎の言葉は、終戦直後のみならず、現代にも輝きを放っている。
「戦争には負けたが、奴隷になったのではない」

敗戦後、すっかり意気消沈した政治家や役人が多かったなかで、白洲次郎だけは決然としてGHQと渡り合った。
妻・正子が白洲次郎を評した言葉が残されている。
「所詮、平和な世の中に通用する人間ではなかった。性格的にも乱世に生きがいを感じるような野人」
窮地に置かれ、人としての尊厳が問われるときにこそ、真価を発揮した白洲次郎の人柄とぶれない心意気を
夫人の言葉はよく表している。
戦争の荒廃に沈んでいるのが日本の姿であった。復興のためには何が必要か、白洲次郎は考え続けた。
それでなくても資源が乏しいお国柄である。「これまでの国内産業の復興・育成を中心とした発想から、輸出行政があって産業行政があるというように考え方を改めなければならん」
白洲次郎と吉田茂は、巨大省庁であった「商工省」を廃止する。
代わりに創設したのが「通商産業省」である。白洲次郎は云っている。「重要なのは輸出マインドである」と。
既存の枠組みに縛られず、将来を見据えた先見性と、それを実行に移した行動力は称賛に価する。
GHQには、白洲次郎をして、「ただ一人、従順ならざる日本人」と言わしめた。
彼が、最も人生で力を尽くしたのは、GHQとの「日本国憲法」をめぐる闘いであった。
交渉の度に苦渋を味わったという。白洲次郎は、占領時代の我が国の進路を決める重要な場面で活躍した。
しかも、GHQに対しては決して卑屈にもならず、「プリンシプル」に従い、彼らとの交渉の矢面に立ち続けたのだ。
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