top of page

鞆の浦・歌人大伴旅人が詠んだ和歌

万葉秀歌といわれるこの歌は,730年,大伴旅人が大宰府の役人の任期を終え,都へ帰る途中,鞆の浦へ立ち寄ったときの歌で,亡き妻をしのぶ気持ちを歌にのせています。

「福山銘菓 令和物語」の企画についての調査です。


元号が「令和」となりましたが、その謂れを知っていますか。 福山大学入学式にご来賓としておいでいただいた枝広直幹市長が祝辞の中でおっしゃったように、この元号は福山市に縁(ゆかり)があります。それを物語に構成すると、万葉の歌人である大伴旅人(おおともの たびと)の物語となります。


新元号「令和」の出典となったのは『万葉集』です。大宰府にて天平二(730)年、正月(令月)風和(やわ)らぐなか、観梅の宴(うたげ)において、参加者たちがあわせて三十二首、梅の花を歌に詠みました。宴の主人(あるじ)大伴旅人も、「我が園(その)に 梅の花散る ひさかたの 天(あめ)より雪の 流れ来るかも」と詠みました。

宴を開いた年の十二月、奈良の都に帰る時に大伴旅人が鞆の浦で詠んだ三首には、むろの木が歌われています。そのうちの一首が「吾妹子(わぎもこ)が 見し鞆の浦の むろの木は 常世(とこよ)にあれど 見し人そなき」という歌です。


今私たちが鞆の浦を訪れ、仙酔島へ渡る船着き場に立って振り返ると、むろの木の傍らに建つこの歌の歌碑が目にとまります。

大伴旅人は、大宰府時代に「酒を讃(ほ)める歌」十三首を詠んでいます。その歌からは、一杯の濁り酒に寄せる、彼の物思いの深さも伝わってきます。


新元号「令和」と福山は、万葉の歌人、大伴旅人によってこのように繋がり、「梅」と「むろの木」と「酒」とのコラボレーションが出来上がることになります。

以前から「むろの木」というお菓子を販売していた市内のお菓子屋さんに、この企画を提案してみました。そうして、「梅」と「むろの木」と「酒」にちなんだ備後福山固有の物語、「福山銘菓 令和物語」のセットが出来上がりました。令和の始まりにあわせ、5月1日発売です。福山市民としては、ややうれしい。観光に寄ることがあれば、買って下さい。


 
 
 

Comments


記事: Blog2_Post

090-4746-8717

  • Facebook
  • Twitter
  • LinkedIn

©2020 by 合同会社アーリーバード。Wix.com で作成されました。

bottom of page