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鞆の浦・常夜燈

港西側の雁木の南端に立つ常夜燈(とうろどう=燈籠塔)は、何と言っても鞆の浦の1番のシンボルです。「安政六年己未七月」(1859年)に建造されました。


南に弓状の港を有する鞆の浦は多島海の天然の良港で、豊後・紀伊水道がぶつかる瀬戸内海の中央部に位置し、“潮待ちの港”として栄えました。

1826年、オランダ商館の医師・シーボルトは『江戸参府紀行』の中で「活気に溢れた町」と記しています。その港町の海上安全を支えたのが、この常夜燈なのです。


竿柱の南面に「金毘羅大権現」、北側に「当所祇園宮」の石額を掲げていて、海上安全の守護神に対する寄進燈籠という形式をとっています。


1871年の公文書に「油一日五勺、燈しん一日五厘」とあり、当時は油(ニシン油)の燈火で海を照らしていました。現在残る常夜燈は、太田家(当時は保命酒屋・中村家)がある西町が勧請して寄進したものです。対して、反対側の波止の先端には大坂屋が寄進した唐銅燈籠(からがねどうろう)が建っていたといいます。明治15年の水害で流されたもうひとつの幻の燈籠。

日本で一番癒される港町といわれる広島県福山市の鞆の浦。鞆の浦の鞆港には江戸時代の遺跡が沢山残っていて、1859年に建造された「常夜燈」もそのひとつです。常夜燈は灯台として、鞆港に入出港する船舶の安全をずっと見守っていました。

鞆の浦のシンボルになっている常夜燈が、鞆の浦の景色に溶け込むすばらしい風景を望める古刹の医王寺や鞆の浦歴史民族資料館の広場など、しまなみ海道とあわせて鞆の浦観光をお楽しみください。


 
 
 

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