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鞆の浦ゆかり盲目の音楽家・宮城道雄

明治27年(1894年)4月、父・菅国治郎と母・アサの長男として、神戸三宮に生れる。備後鞆の出身、分部氏の次男、祖先の墓は鞆の南禅坊にある。


6歳の時眼疾に罹り、9歳のころには完全に失明する。8歳中島検校に入門。13歳より代稽古を勤め、14歳渡鮮していた両親の家計を助けるため、仁川、のち京城で生活した。


16歳のとき、初めて「水の変態」を作曲。大正6年(1917年)上京。童謡の小より、大規模の管弦楽の作曲、凡そ300。みな独自性のある名曲ばかりである。


「春の雨」、「さくら変奏曲」、「薤露詞」、「紅薔薇」、「コスモス」、「谷間の水車」、「瀬音」、「お山の細道」、「おんどりめんどり」、「夜の大工さん」、「チヨコレート」、「花園」、「春の海」、「桜変奏曲」、「秋の調」、「せきれい」、「落葉の踊」、「うてや鼓」、「春の賦」、「日蓮」、「葉げいとう」など。


昭和5年(1930年)、東京音楽学校(現在芸大)講師。昭和13年東京音楽学校教授。昭和23年(1948年)8月芸術院会員。昭和25年放送文化賞をうけ、昭和28年(1953年)7月日本代表として渡仏。国際民族音楽舞踊祭に参加、最優等賞獲得。


別に随筆集も多く、『雨の念拂』ほか6冊、後にはまとめて3冊の『宮城道雄随筆選』とした。

昭和31年(1956年)6月25日、愛知県刈谷駅附近にて汽車から墜落し、急逝する。享年62。墓地は東京谷中。


東京都新宿区中町に宮城道雄記念館がある。また、愛知県刈谷市に、全国宮城会員他盲人協会員が立派な供養塔を建立している。

 
 
 

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