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自転車考現学 その5

サイクルとフィッシングの素敵な関係


シマノは大阪府堺市に本社を置いています。創業は1921年(大正10年)ととても古く、当時国内産の自転車の核とも言える部品のフリーホイールはお世辞にも品質が高いとは言えず、それらの改善、技術向上を目的にシマノは誕生しました。ご存じ堺は、戦国時代以降、刀剣、銃砲などが盛んに製造されてきた。


その島野庄三郎(当時26歳)は、堺市東湊のセルロイド工場の跡地12坪を月5円で借り、懇意にしていた佐野鉄工所から借りた六尺旋盤1台を元手に島野鐵工所を創業したのだ。もちろん、堺市で長年培われていた金属加工技術が大いに寄与していたのである。

やがて、同社は、高い技術を生かして、リールなどを生産する釣り具部門を発足する。1970年(昭和45年)であった。


島野喜三さんは、シマノ創業者の島野庄三郎氏の三男として堺市に生まれた。58年に入社し、95年に長兄、次兄に続く4代目の社長に就任。自転車協会の理事長も務めた。80年代に米西海岸で始まったマウンテンバイク(MTB)ブームの兆しをいち早くとらえ、耐久性が高く悪路に負けない専用部品をつくって供給。世界的なMTBブームの広がりに大きく貢献した。先月3日、慢性心不全で死去、85歳であった。


自転車業界のインテル。シマノは、しばしばこのように評される。自転車部品のトップメーカーであり、世界中の自転車完成メーカーにコア部品であるブレーキ、ギア、変速機などを提供しているからだ。


自転車の性能と価格は、シマノ製のハイグレード部品をどれだけ搭載しているかでほぼ決定してしまう。大規模なレースでもシマノを選ぶ選手が5~8割は占める。シマノが提唱する規格は事実上の世界標準であり、 実質的な自転車業界のリーダーといっても過言ではない。

 

 その強さの秘密は、徹底的な顧客主義と現場の強さといわれる。たとえば、あるベテラン社員は、もう25年以上も前に見た光景を忘れられない。三代目社長だった故・島野敬三が開発担当だった頃だ。


女性用自転車の試乗会で、敬三はなんとスカートとハイヒール姿で登場、居合わせた社員らの度肝を抜いた。1991年の創業70周年のパーティでは、シマノの経営に携わる島野三兄弟、長男の尚三、次男の敬三、 末っ子の喜三が三人乗り自転車に乗って登場するという演出が行われたが、他の2人がタキシードに革靴だったのに対し、敬三だけはレース用シューズを履いていた。   むろん、変わり者だったというわけではない。根っからの技術屋だった敬三は、常に顧客の立場となって製品を試していたのである。

  

当時、黎明期にあったマウンテンバイク(MTB)の情報をつかみ、シマノはいち早くMTB用部品を開発・供給することで、後の爆発的なブームに乗った。

 

各地のレースでシマノ製部品を使う選手らが好成績を収め始めた。ロードレースの最高峰であるツール・ド・フランスでは、 2005年にシマノ製部品を使用したランス・アームストロングが7連勝としう偉業をなし遂げ、シマノの評価は欧州でも不動のものとなった。


 
 
 

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