自転車考現学 その3
- とよっチ

- 2020年8月25日
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古い町家が多く残る大阪・堺の北旅籠町にある鉄砲鍛冶屋敷。
ここは、江戸時代から続く堺の鉄砲鍛冶井上関右衛門の居宅、作業場、店舗だ。

包丁などの刃物と自転車は現在の堺の基幹産業だが、刃物はポルトガル伝来のタバコ葉を刻むために発展する。そのためにシマノを始めとする堺の自転車は、鉄砲鍛冶の技術から発展したものだという。
また、宮田製銃所が明治23年に作り上げた試作自転車はサドルからスポーク、チェーン、ベアリングに至るまで、製銃技術を駆使して作られた自家製であった。現在のミヤタサイクルである。
当時、自転車のフレームに使う輸入鋼管は、供給が追いつかないほどの需要があったため価格も高く、手間は掛けても国産化したほうが価格も安く安定供給することが見込めていた。
パイプを国産化するにあたり、鉄砲鍛冶の持つ高度な銃身加工や焼き入れ技術が大いにもてはやされたという。
無垢の鋼材を旋盤で穿孔して作られた明治期の村田銃用銃身はシームレス鋼管であり、アメリカ製の高価な合わせ鋼管と比較しても強度も高く、自転車用フレームとしては贅沢な素材だった。
火縄銃を製造する技術が、銃身製造に繋がり、やがて自転車フレームへと発展していくのである。チェーンによる駆動装置は産業革命を経験した英国人によるアイデアであった。
最初の自転車は、足で地面を蹴って進む方式だった。そして、これがペダルなし幼児向け自転車で復活するのだ。




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