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村上水軍(海賊)をご存じだろうか?

村上水軍(むらかみすいぐん)は、日本中世の瀬戸内海 で活動した水軍(海賊衆)である。その勢力拠点は芸予諸島を中心とした中国地方と四国地方の間の海域であり、その後大まかに能島村上家、因島村上家、来島村上家の三家へ分かれた。

なお、2016年(平成28年)4月25日、日本遺産 第二期の19箇所の一つとして「“日本最大の海賊”の本拠地:芸予諸島-よみがえる村上海賊“Murakami KAIZOKU”の記憶-」のタイトルで認定された。

村上水軍が活躍した今治市本土と尾道市本土と芸予諸島に42項目の遺産対象がある。


村上海賊をご存じだろうか?

村上海賊は、南北朝から戦国時代にかけて瀬戸内海で活躍した一族で、芸予諸島を拠点に周辺航路を支配し、日本最大の海賊と称された。村上海賊をテーマにしたストーリーが、2016年、日本遺産にも認定された。

今回は、そのストーリーに秘められた村上海賊の魅力を紹介したい。芸予諸島を取り巻く海峡は、今でこそ日本で初めての海峡を横断可能な自転車道ができているが、歴史を紐解けば交通手段は水路のみ。穏やかに見える海は船を進めると、潮の干満による激しい潮流が襲いかかり、船乗りを悩ませる海の難所だった。


なかでも、今治・能島の周囲は最大10ノット(時速約18km)にもなる潮流が渦巻き、時には船を呑み込んでしまうほど。「船に乗るより潮に乗れ」この地の漁師たちがと語り継ぐ言葉だ。航路の安全を守るには、海を知り、潮を読み、複雑な地形を知り尽くす知恵が必要だった。


南北朝時代(1336年から約60年間)に姿を現したのが、戦国時代に「海の大名」と呼ばれ、海原を自在に駆けめぐった村上海賊だ。


最近、「水軍」をやめて「海賊」に呼称を改めるそうだが、これは、韓国の謀略なのか。

あるいは、中国の策謀か。日本の歴史・文化を貶めるやり方に編集長は疑義を唱える。

 
 
 

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