徳島・源平屋島の戦い
- とよっチ
- 2020年9月13日
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源平合戦の戦いの一つである一ノ谷の戦いで、平氏は鵯越の逆落としと呼ばれる義経の奇襲戦法によって敗北。

この戦いによって平氏方は一門を多く失ってしまい、再起不能一歩手前の深手を負って屋島へと撤退。
屋島で本拠地を置いて瀬戸内海の制海権を確保してなんとか勢力を保とうとしました。
しかし、源氏は強力な水軍はなくても軍事力にて中国地方を制圧。
さらに平氏の勢力基盤がある九州地方や四国地方にも手を伸ばそうとします。
義経は後白河上皇の綸旨を受けて屋島へと出撃。
水軍が強かった平氏を倒すには無理矢理陸戦に持ち込まなければならないと感じた義経は、屋島を海から襲撃するのではなく陸路から攻めるという手段を取り、屋島がある讃岐の南側にある勝端(徳島県徳島市)に上陸。
そこから平氏の背後をつき義経は決定的な勝利を収めました。
この戦いによって平氏の崩壊は確定的なものになり、さらに源範頼による九州地方制圧も相まって平氏は下関海峡に浮かぶ彦島に孤立する状態となり、壇ノ浦の戦いへと繋がっていくことになるのです。
こうして源氏の勝利に終わった屋島の合戦なんですが、この屋島の戦いの中で有名になったのが那須与一の扇の的伝説でしょう。
当時、合戦というものは夕方になると休戦状態となるのが常識であり、屋島の戦いでも夕方になると休戦するようになります。
そんな時、平氏のある女性が竿の先についている扇の的を撃ち落とせと挑発し、源氏方の武将は弓に自信がある人を連れて来いと命令をかけます。その時満を持して現れたのが那須与一。
那須与一は扇の的を鏑矢という矢で見事に撃ち落とし、平氏と源氏の武将から賞賛を受けたそうです。
元々那須与一の生まれた家は平氏側についていたんですが、この扇の的伝説もあって所領は倍増。
本拠地であった那須家を最盛期に導くなどの業績を残している。
一生に一度ぐらい瀬戸内を旅しよう。歴史を食べてみたくはないだろうか。
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