広島訪問・ジェーンフォンダの憂鬱
- とよっチ
- 2020年9月13日
- 読了時間: 2分
母と自分たち兄妹を捨てて若い女に走った父ジョン・ヴォイトを今も許さないアンジェリーナ・ジョリーのように、ジェーン・フォンダは、浮気をして母を投身自殺に追いやった父ヘンリー・フォンダとずっと没交渉だった。

でも父の最晩年の『黄昏』(’81)では共演を果たし、こんな忘れ得ぬエピソードも教えてくれた。
「死の床で、もう意識もない父の脚を私はずっとさすり続けたの。でも、父はピクリともしなかった。どのくらいさすっていたか覚えていないけど、もう諦めて病室を出ようとしたら・・・・・・か細い声が聞こえてきたのよ。『行かないでくれ』って」
震える声で流れる涙もかまわず語り続けるジェーンの姿に、話を聞いていたこちらもただ涙、涙。
父親を亡くしたばかりの担当編集の女性も大泣きのインタビューになってしまった。
「グランドフィナーレ」で久々に姿を見せたジェーン。
父ヘンリーとの和解は何よりだったろう。
反戦運動家としても知られていたジェーン・フォンダが、最初に広島を訪問したのは、1971年のことであった。彼女が発したコメントは、地元の中国新聞に残されている。
「ヒロシマを知るのは、アメリカ人の義務」1981年5月6日に7歳の息子を連れて再度訪れた。原爆資料館の展示物を見るまなざしは真剣そのものだったという。
中国新聞の取材に応じた彼女は、「息子がこの経験をもとに、若い世代の代表として核兵器と闘って欲しい」と語っている。
Comentarios