広島・佛通寺
- とよっチ
- 2020年8月20日
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日本屈指の参禅道場 西日本随一の臨済宗大本山

佛通寺は、1397年(応永4年)小早川春平の開基、愚中周及の開山により創建された。春平は奉公衆として京都で足利将軍家に仕えており、同僚の那珂宗泰と親しかった。春平は宗泰から、那珂氏の所領にある天寧寺にいる愚中の名声を聞き及び、彼を招いて氏寺を建立することで、南北朝時代の動乱のさなか自立性を強めた一族内の結束を図ろうとした。佛通寺の名は、愚中周及の師である即休契了を勧請開山とし、その諡号「仏通禅師」から取られており、場所は佳き山水の地を選んで建立された。1409年(応永16年)には後小松天皇から紫衣の着用が許されたが、同年愚中は示寂、以後弟子たちは愚中派として臨済宗の中で一派を形成した。1441年(嘉吉元年)足利将軍家の祈願所となり、小早川氏のほか毛利氏の保護も受けの帰依を受けて、最盛期には塔頭88、西日本に末寺約3000寺に上ったという。しかし、応仁の乱以降寺勢は衰え、小早川隆景の代でやや盛り返すも、その後の権力者の変転の中で取り残されていった。明治に入ると法灯は盛り返し、1876年(明治9年)一時天龍寺派に属するも、1905年(明治38年)には天龍寺から独立して臨済宗佛通寺派を称し、その本山となった。

水墨画によくある中国の風景に似た岩山肌の山間道を、曲りくねった渓流に沿って山中に入ること、山陽道より約8キロ、うっそうと樹木の繁る佛通寺の門前に至る。巨大な千年杉の林立、あたり一帯厳しい禅刹の気魄が漂う。
所在地〒729-0471 広島県三原市高坂町許山22 0848-66-3502
交通アクセス三原駅からバスで40分
御開山大通禅師お手植と伝えられる、羅漢槙の大樹の傍の巨蟒橋(きょもうきょう)を渡ると佛通寺山門。巨蟒橋はその名の通り、聖地の結界に巨大なうわばみが横たわり、仏法を守護せんとしているもの。この橋を渡ることで、偏(ひとえ)に身も心も清浄無垢になり、仏殿に修行を誓う解脱の門に等しい橋となる。
山門を入ると、仏殿が厳然と鎮まる。碧巌古松(へきがんこしょう)の参禅道場として600年の法灯の歴史を刻む、臨済宗の大本山である。
千年杉が亭々と林立する石径を上ると多宝塔と石仏の群、開山禅師の塔所・含暉院(たっしょ・がんきいん)は開創当時のただずまいを今に伝える。堂中には佛通禅師と大通禅師、両開山禅師の尊像が尚居ますが、如くに端坐して佛通寺の今日をじっと見守って居られる。
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