広島といえば宮島紅葉谷発「もみじ饅頭」・起源は?
- とよっチ
- 2020年9月17日
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この岩惣に和菓子を納入していた高津は、宿の女将・栄子から「大切なお客様への手土産に、紅葉谷の名にふさわしい菓子が作れないか」と依頼され、試行錯誤の結果1906年(明治39年)に「紅葉形焼饅頭」を完成させた。
4年後の1910年(明治43年)7月18日には商標登録しており、この商標登録証は子孫の元に残っている。このとき登録された焼き型は「7つの切れ込みのある葉に短い葉柄があり、二頭の鹿を描いた」という凝った意匠であり、今日のもみじ饅頭とは趣が異なる。
しばらくして高津はより現在の形に近い焼き型を使い始め、この型も現存している。
呼び名も、常助の代にはすでに「もみじ饅頭」と呼ばれ始めていたという。
*引用:Wikipedea
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