広島といえば、宮島紅葉谷発「もみじ饅頭」とよっチ2020年9月8日読了時間: 1分もみじ饅頭を発案した人物は明治後期の厳島(宮島)の和菓子職人、高津常助とされている。島内の名所・紅葉谷の旅館「岩惣」にはその頃、皇太子である嘉仁親王(後の大正天皇)や大韓帝国皇太子(のちの純宗)・伊藤博文・夏目漱石ら要人が多く投宿していた。この岩惣に和菓子を納入していた高津は、宿の女将・栄子から「大切なお客様への手土産に、紅葉谷の名にふさわしい菓子が作れないか」と依頼され、試行錯誤の結果1906年(明治39年)に「紅葉形焼饅頭」を完成させた。4年後の1910年(明治43年)7月18日には商標登録しており、この商標登録証は子孫の元に残っている。このとき登録された焼き型は「7つの切れ込みのある葉に短い葉柄があり、二頭の鹿を描いた」という凝った意匠であった。今日のもみじ饅頭とは趣が異なるが、しばらくして高津はより現在の形に近い焼き型を使い始め、この型も現存している。呼び名も、常助の代にはすでに「もみじ饅頭」と呼ばれ始めていたと本人が子孫に語っている。*引用元:Wikipedea
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