尾道・朱華園廃業の憂鬱
- とよっチ
- 2020年8月28日
- 読了時間: 3分

尾道のラーメン人気の礎を築き、昨年6月に事実上閉店した、広島県尾道市の「朱華園(しゅうかえん)」。元店主の檀上俊博さん(69)が、中国新聞のインタビューに応じた。「尾道ラーメン」の源流とされながら、あくまで独自の中華そば作りにこだわった同店。
味への執念やブームに対する複雑な感情など、今だからこそ語れる思いに迫った。
▽麺もスープも数値化。改良繰り返す
―改めて、閉店のいきさつを教えてください。
昨年6月時点では「休業」としたけど、あれは皆さんを混乱させないため。最初から閉店のつもりだった。体調不良で調理や従業員管理が困難になって、継ぎ手もいなかった。今年になってひっそり、閉店の掲示を出した。
―独特の中華そばはどうやって生まれたのですか。
創業したおやじは台湾出身。背脂は中国料理によく使われるから、古里の食文化にヒントを得たのだと思う。俺も味の起源を探してアジア各国を旅したけど、結局この料理が源流というのは見つからなかったな。

―父の故・正儀さんからどうレシピを継承されたのですか。
おやじが体調を崩し、大学卒業後帰郷して店に入った。でも基本は「見て学べ」でね。自家製の麺もスープも、とにかくデータを取って作り方を研究した。麺は原料の配合から生地をこねる、延ばす具合まで全部数値化。スープも塩分濃度を計測するんだけど、うま味を出す技術は結局は勘。濃淡がバラつかないよう火加減を常に調整したよ。朝3時から製麺をして仮眠を取り、夕方から調理をして改良を繰り返した。麺とスープの相乗効果が大切だから、両方の工程を学んだのは後に生きたな。
―味に納得できるまで何年かかりましたか。
最後の日までかな。スープは煮ると味が必ず変わって、何とかキープさせるんだけど、おやじの味で育ったお客に「落ちた」と言われるんだ。恐ろしい商売だよ。しょうゆも醸造品ごとに微妙に味が違うから、出荷前に工場で味見させてもらい、納得したのだけ仕入れていた。何度もやめたいと落ち込んだけど、お客のおかげで続けてこれた。
―常連客に支えられたということですか。
常連さんには一発勝負じゃ通じない。だからまた来てもらおうと工夫するよね。時代に合わせることも大事。例えば1984年に白いコンクリート造りの店舗に建て替えたのは、薄汚くて女性が入りにくい当時のラーメン屋のイメージを変えたかったんだ。
▽伝承の余力ない。記憶に残ればいい
―90年代以降は尾道ラーメン人気が高まります。
正直騒がれるのは嫌だった。尾道ラーメンじゃなくて、朱華園でしか食べられない中華そばを作ってたから。魚介だしを使った尾道ラーメンの土産品が有名になって、うちで食べても「魚介の味がする」と言ったお客もいた。鶏がらなのにね。でも段々否定はしなくなったよ。俺は家業として、自分の味を追求していけばいいと割り切った。
―朱華園の閉店は尾道のラーメン文化に痛手という声もあります。
復活させようにも、今から技を伝承する余力がない。皆さんの記憶の味でいいと思う。最近はインターネットを使ってブームに乗る店も多いけど、結局中身がないと続かない。「またここで食べたい」と思わせる味や雰囲気だよ。努力してリピーターを引き付けていけば、新しいラーメン文化も育つんじゃないかな。
引用は中国新聞社より
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