尾道・因島で発生した冤罪事件の憂鬱
- とよっチ
- 2020年9月13日
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1961年1月8日、広島県因島市で農業を営むM(32歳)の兄夫婦(当時既に両名とも故人)の娘である女児(4歳)が、農薬の付着したどら焼きを食べて死亡した。
この事件は状況から事故として処理されたが、M宅に同居していた兄夫婦とMの次女および三女が、この事故の4年前から2年前にかけて相次いで亡くなっていたことから、島には、この5人の死に関連がある、と確たる根拠もなく噂する者もあった。
そのうち、ある者から「おかしいと評判だ、調べてくれ」と密告する電話が因島区検察庁にかかってきた。
Mは、女児に対する殺人罪と、兄嫁とMの他の娘2名に対する殺人未遂罪で起訴された。ところが、饅頭の入手方法(近所で事件当時販売している店がなかった)と農薬の使用方、指紋など、直接的な物的証拠はなく、自白調書だけは膨大に揃えてあったが、その内容はいずれも一貫性に欠けるものであった。
狭い島の中には、他人のうわさ話を愉しみとする閉鎖的で陰湿な生活風土があった面もみられ、このような風土が権力と結びついた結果、ありもしない猟奇的殺人事件を生み出したのだとされる。
現在、SNSが普及して、根拠のない熱狂が拡散している。また、ユーチューブでのアクセスUPを狙って、意図的に反社会的な行動を動画撮影するバカが絶えない。
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