尾道ラーメン80年以上の歴史
- とよっチ

- 2020年8月9日
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尾道ラーメンは、地元で80年以上の歴史を持つと言われています。
特徴は、鶏ガラと小魚がベースの澄んだ醤油味スープに青ネギやメンマなどをトッピングしたものである。
昭和3年頃、中国福建省の張氏が青竹で麺を作り、手回しの機械で麺線を作り、露店でチャルメラを吹きながら売り歩いていたのが、尾道で「支那そば」として出現したのが「尾道ラーメン」の始まりです。当時の尾道ラーメンのスープは、牛骨と豚骨でとったスープで、白く濁ったスープでした。尾道は造船の街で、戦前戦中と大陸から来た人々が大勢造船業に従事していました。戦時中に材料不足で一時中断しましたが、戦後、造船業が衰えた中、中華そばの屋台を引く者が現れ始めました。「朱華園」の創業者、朱阿俊氏もそういう一人だったそうです。屋台の創業は昭和22年です。

台湾出身の朱阿俊が屋台で提供した中華そばに始まった。朱阿俊は店を構えたのち「朱華園」の看板を掲げた。醤油味ベースのスープに平打ち麺、トッピングに豚の背脂のミンチを乗せたものは朱華園で「中華そば」として提供されていたが、2019年6月18日に閉店。朱華園の味は本店で修行を詰んだ店主により福山市神辺町の中華そば「しんたく」に引き継がれている。
1990年代になると福山市鞆の浦の珍味メーカー「阿藻珍味(あもちんみ)」が「お土産用尾道ラーメン」を販売する。鶏ガラスープに平子いわしを使ったもので、以後、この系統のラーメンを出す店が増え、一般的に「尾道ラーメン」といった場合には、こちらを指すことが多い。
なお、阿藻珍味が福山市のメーカーであるため、岩岡洋志は「尾道・福山ラーメン」と呼ぶべきかもしれないと述べている。
このように尾道ラーメンは朱華園をルーツとするものと阿藻珍味をルーツとするもの、二つの系統があると言える。
なお、朱華園の二代目となる壇上俊博は「ラーメン作りで父(朱阿俊)に教わったことはひとつもない」とインタビューで答えており、2019年6月18日まで朱華園で食べられていた中華そばは、初代である父親の味を壇上が独自に研究、再現、改良したものであるそうな。
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