向島・後藤鉱泉所
- とよっチ
- 2020年8月11日
- 読了時間: 4分
昭和5年創業の昔ながらの瓶入りサイダーやジュースを製造しているお店です。
今日まで変わらないリサイクル瓶入りで、昔懐かしい味にこだわっています。瓶は今では作られていない貴重なもののため、持ち帰りや通販などは不可。地元でしか飲めない味をご賞味ください。

これがラムネの生きる道…“地ラムネ” 飲みたい人集まれ!
ガラス瓶のなかでカラカラと踊るビー玉、シュワッと広がるさわやかな甘さ、夏の昼下がりに恋しくなる "ラムネ"。
しまなみ海道でつながる向島(広島県尾道市)、細い路地の一角に、ラムネの清涼飲料水を製造販売している『後藤鉱泉所』がある。
木の扉、木枠の窓、板張りの天井...レトロな店構えに思わず引き寄せられる人は多いに違いない。間口にはケースが積み上げられ、旧式の冷蔵庫に瓶入りの飲料水が冷やされていた。「一本飲んでみなさい」
プシュッと栓を開けてくれたのは、ご主人の後藤忠昭さん。「自分は三代目。表の看板は初代のまんまよ」宇津井健似の男前の笑顔で、後藤さんが語る。開業は昭和5年。80年以上営業を続ける老舗だそうだ。

「うちは女房と二人で切り盛りしとるから、今の生産量が精一杯。飲料水を作りよるのは、広島では二軒だけ」
後藤さんの所では、ラムネのほか5種類の清涼飲料水を製造販売している。学校の教室ほどの広さの工場内を見せてもらった。「飲料水の仕事は、えらいんよね(しんどい)」と言う。手間がかかり、運ぶ際はズシリと重い。ビンだとなおさらだ。
「じゃけど、世の中はゴミの山でしょう。便利さに流されてビンからペットボトルの時代になったけど、リターナブル(容器再使用)の時代へ戻らなイカンと思うんじゃがのぉ」
「夏祭りや納涼祭でラムネを売ると、飲み終わってポイッとゴミ箱にビンを捨てよる。リターナブル瓶のことを皆知らんのよ」
奥様の勝子さんは、広島の山間部出身。42年前にお見合いでお嫁に来たそうだ。「辛抱ばかりです」と言いながらも明るく元気に笑う。最近は、小学生が社会見学で地元の工場や会社を回って来るそうだ。

「うちではラムネの話をして、工場を見学させて、最後にラムネを一本飲ましてあげるんよ。ほんなら大喜びでねえ。子どもらの一番人気よ。」
「初代が凝った人でね、この建物は上等な木材でしっかり作ってあるから、今だに狂いがない。私らが仕事をやめた後も建物は残したいけど、どうしたらええんじゃろうね。」
「そしたら孫がね、学校でラムネブームになったらしゅうて、鼻が高かったんじゃろうね。"ボク、ラムネ屋になる"って言うてからにねぇ・・・」

そう嬉しそうに話してくれた。
ラムネの由来とされるレモネード(レモン風味のソーダ水)は、イギリス生まれ。幕末の頃、日本に持ち込まれ、明治期に国内全域に広まった。庶民の飲み物として親しまれるが、やがて新しい飲み物(コーラ等)に押されてしだいに衰退していく。昭和40年代にレトロブームで再び光を浴び、大人には懐かしく、子どもには新しい飲み物として人気を復活させるが、その後、缶飲料や自動販売機の登場、スーパーの出現で、ラムネを売る小売商店の減少とともに再び衰退する。日本の炭酸飲料水の歴史を作ってきたのは各地の『鉱泉所』なのだが、現在も製造を続けている所は数えるほどしかない。
しかし、最近はテレビや雑誌の取材のおかげで、遠くは北海道からわざわざ足を運んでラムネを飲みに来る "地ラムネ" ファンのお客さんもいるそうだ。ラムネのリターナブル用ビンは製造が中止されて久しく、貴重な物のため、遠方への発送は出来ないからだ。
「どうしてもビンをくれ言うお客さんには、傷入りで使えなくなったビンをあげるんです。それでも、ええもんもろた言うて喜ばれとるね。」

鉱泉所の存在は、観光にも一役買っているようだ。汗をかいた後の一杯、と立ち寄るしまなみ海道サイクリストの姿も多い。
「ビールも同じやけど、ラムネもビンが一番美味い。缶やペットボトルはガス(炭酸)量がどうしても低いけんな」と、ビン入りの美味しさの秘密をこっそりと教えてもらった。
甘味を抑えたすっきり味が特徴の後藤ラムネ。
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