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亡き友人へ涙のキャンドルサービス

当時、南海ホークスの森脇浩司が披露宴を挙げたのは、1993年のことである。


この年に、彼は無二の親友を亡くしていた。

その亡き親友を披露宴に招待したのであった。

グラスにもビールを注いだ。

この光景を見て、周囲の出席者たちは、涙をこらえることはできなかった。

親友の名は「津田恒美」炎のストッパーと呼ばれた広島のリリーフエースであった。

1992年、津田は体調不良を訴えていた。


それは前年からであり、頭痛が治まらなかったのだ。

いくら食べても体重が減る。

1度詳しい検査が必要と球団は判断した。

そして広島大学病院で精密検査が行われた。


その結果は恐るべき事態であった。

脳内に悪性の腫瘍があり、それも摘出不可能な箇所で見つかったのである。

球団は、動揺が広がることを懸念し、本当の病名を伏せた。

そして、「津田は水頭症のため現役を引退する」と発表した。

そして1993年7月20日療養中の済生会福岡総合病院で津田恒美は32歳の短い生涯を閉じたのである。森脇は1987年にカープからホークスにトレードされていた。

だが二人の友情は続いた。

森脇は、療養する津田の面倒をなにくれと見てやっていた。

1時津田が奇跡的に回復すると「オレの年棒を半分にしても、恒美が現役復帰できるように、球団(ホークス)に掛けあってやる」と大真面目に言ったそうである。

だから結婚披露宴を前にして津田が還らぬ人となってしまったのは、無念以外の何物でもなかった。

 
 
 

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