オバマ大統領の広島演説
- とよっチ
- 2020年9月13日
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オバマ大統領は、1945年8月6日に世界で初めて原子爆弾が落とされた広島を訪れたことで、この議論に足を踏み入れることになった。広島の平和記念碑と平和記念資料館ほど、このような平和主義的認識を明白かつ強烈に表している場所は他にないだろう。

オバマ大統領は、歴代の大統領によって検討されては退けられてきた広島訪問という議論を呼ぶ行動をとることを決断した。
そして、より重要なのは、オバマ大統領がその感動的なスピーチの中で、戦後の日本を支えてきたこの平和主義的観点にはっきりと同調したことである。
オバマ大統領は、政治的・哲学的な危険地帯をうまく渡っていかなければならないと明確に理解していた。
米国参戦から5年目を迎えた世界戦争の最中にハリー・トルーマン大統領が下した核兵器の使用という決断を、オバマ大統領は今になって批判することはできない。
謝罪はもちろん、謝罪をほのめかすことすら論外である。また、他の人々が戦争で被った苦しみ、特に日本と戦った人々が被った苦しみを無視していると受け取られてはならなかった。
巧みに練られたオバマ大統領のスピーチは、謝罪の言葉を避けていた。また、死者への追悼として、犠牲になった日本の男性、女性、子どもたちだけでなく、同じく原爆で亡くなった「数千人の朝鮮半島出身の人々」や十数人の米兵捕虜にも哀悼の意を示すことを忘れなかった。
短いながらも雄弁だったのは、「銃殺、撲殺、(死の)行進、爆撃、投獄、飢え、毒ガスによって亡くなった」多くの戦争犠牲者にも言及したことで、その中には日本軍によって命を奪われた人々も含まれていた。
オバマ大統領は巧みな弁舌で、広島と長崎への原爆投下に至った経緯を、そのような大きな枠組みの中に位置づけた。その後、核兵器の恐怖に焦点を当て、科学の創造性が甚大な破壊をもたらしうるという恐ろしい皮肉を指摘した。
「技術の進歩に伴って人間社会も同等に進歩しなければ、人類に破滅をもたらす恐れがある」とオバマ大統領は説いた。「原子の分裂を可能にした科学の革命と同様に、道徳の革命も求められている」と。
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