【特別史跡】廉塾・菅茶山旧宅
- とよっチ
- 2020年10月27日
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茶山が生まれ育った神辺は、山陽道の宿場町として栄えていたが、賭け事や飲酒などで荒れていた。学問を広めることで町を良くしようと考えた茶山は、京都の那波魯堂に朱子学を学び、和田東郭に古医方を学んだ。京都遊学中には高葛陂の私塾にも通い、与謝蕪村や大典顕常などと邂逅した。
故郷に帰り、1781年(天明元年)頃、神辺(現在の福山市)に私塾黄葉夕陽村舎(こうようせきようそんしゃ)を開いた。皆が平等に教育を受けることで、貧富によって差別されない社会を作ろうとした。
廉塾の門人には、頼山陽・北条霞亭など多数。墓所は神辺網付谷にある。
廉塾(れんじゅく)は、江戸時代の儒学者・菅茶山によって備後国(現・神辺町)に開かれた私塾。敷地内の講堂・寮舎は、桟瓦葺、平屋建て、居宅は、桟瓦葺、2階建てで、近世の地方における教育施設として数少ない例で、国の特別史跡になっている。
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