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愛媛・宇和島城

宇和島城は、中世期にあった丸串城(板島城)の跡に藤堂高虎によって築かれた近世城郭である。


標高74メートル(80メートルとも)の丘陵とその一帯に山頂の本丸を中心に囲むように二ノ丸、その北に藤兵衛丸、西側に代右衛門丸、藤兵衛丸の北に長門丸(二ノ丸とも)を中腹に配置し、麓の北東に三ノ丸、内堀で隔てて侍屋敷が置かれた外郭を廻らせる梯郭式の平山城で、東側に海水を引き込んだ水堀、西側半分が海に接しているので「海城(水城)」でもある。


宇和島の中心部に位置する標高約80mの丘陵に築かれた平山城。近世城郭は築城家として名高い武将、藤堂高虎によって、慶長元(1596)年から慶長6(1601)年にかけて築かれました。


かつては大半が海に面し、堀も築かれていましたが、現在は埋め立てられています。元和元(1615)年に伊達政宗の長子、伊達秀宗が入城して以来伊達家代々の居城となりました。現在の天守は伊達家の居城になってから再建されたものですが、城構えは藤堂高虎が創建した当時のものを引き継いでいます。

城山は国史跡で、現存十二天守に数えられる天守は国の重要文化財に指定されています。


松山城とともに国内に現存する12天守の一つ。かつては、宇和島湾に面した場所に不等辺五角形の縄張りで築かれ、築城の名手と名高い藤堂高虎による優れた築城術が活かされた堅城であった。巨大な石垣を横目に急な石段を登って行くと、山頂には当時のままの三層三階の天守が鎮座する。

天守内部は木の味わいが残り、遠く宇和島湾と宇和島の町並みを一望できる。

 
 
 

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