因島出身の美人女優・東ちづる
- とよっチ

- 2020年8月8日
- 読了時間: 2分
更新日:2020年8月9日
子供の頃は日本舞踊、書道、そろばん、オルガン、英会話と多数の習い事をしていた。小学校時代の文集に「デザイナーかイラストレーターか漫画家になりたい」という作文を寄せていたことがあったが、後に気が変わって教師を目指すようになった。中学生時代はテニス部、生徒会で活動していた。広島県立因島高等学校卒業。その後、広島県から関西外国語大学短期大学部に入学。卒業後、大手メーカーに就職したが辞め、アルバイトのつもりで芸能界に入る。

骨髄バンクを支援し、ボランティアで講演を行って、小人症や骨が弱い人などの支援するなど「まぜこぜの社会」をめざす一般社団法人「Get in touch」の理事長である。戦争で傷ついた子ども達のリハビリを行う「ドイツ国際平和村」を支援している。
お嫁さんにしたい女性有名人No.1」に選ばれたことがあった。2003年に堀川恭資と結婚した。
短大に進学したが、当時は他の四年制大学への編入を目指していたそうだ。その短大2年生の時には、ハワイ大学の寄宿舎に一か月ほど滞在し、英語を学んでいた。
短大を卒業後、一時期はソニーグループのソニー企業株式会社(ソニービル運営、イベントプロモーション、ショールーム運営等)の社員として勤務していた。「大阪の支社に凄い美人がいる」と系列会社や取引先の間で評判となり、主に新商品の発表会といった得意先や一般消費者を相手にする時の説明をするコンパニオン的な業務を担当。25歳の頃、芸能界で本格的に活動をするため退職しる。その後、バラエティ番組のアシスタントなどを経て、1987年テレビ朝日『金子信雄の楽しい夕食』で初代アシスタントを務めた。ブレイクするのに時間はかからなかった。
因島の高校生が白血病となり、その妹から骨髄バンクを支援してほしいと頼まれた。骨髄バンク啓発のポスターのモデルになる。他にもボランティアでシンポジウムで講演を行っている(本人もドナー登録もしている)その縁で、全国骨髄バンク推進連絡協議会会長の大谷貴子とも親交がある。骨髄バンクや白血病に関するドラマ・映画の多くに出演している。

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